財団について
ごあいさつ
公益財団法人 愛知腎臓財団
会長 大島 伸一
財団の会長に就任いたしましたので、ご挨拶を申し上げます。
愛知腎臓財団は、昭和46年に当時の社会保険中京病院副院長であった故・太田裕祥先生らが中心となって、当時は愛知腎不全対策協会という名称の財団法人として設立されたものです。私は当時は大学を卒業したばかりで縁あって中京病院の皮膚泌尿器科で研修生のような生活をしており、太田裕祥先生が協会の設立のために、愛知県医師会や愛知県の当時の民生部と折衝されていたことを憶えています。
当時、腎不全はいわゆる死病で血液透析も腎移植も黎明期にあって日本では社会保険の適用外でした。血液透析については当時はまだ二十代であった太田和宏、前田憲志、川原弘久、山﨑親雄先生達が、この治療法の普及と社会化に向けて協会を支えて奮闘されていました。私はこうした様子を直に見て、自分は移植をやろうと決意しました。これが、私が愛知腎臓財団と関わりを持つようになった由縁です。
その後財団は、昭和55年に角膜及び腎臓の移植に関する法律のもとに、1県1バンク構想といって全ての県に腎バンクを構築するという方針が示されたのを機に、死体腎移植の受け皿的機能を行う団体として、昭和62年に愛知腎臓財団と名称を変え、定款の改定を行いました。そして、平成20年12月に「公益法人制度改革関連3法案」が施行されたのを機会に、平成24年4月に公益財団法人の認可を受け現在に至っています。
愛知県は腎不全対策協会の時代から死体腎移植の普及を大きな課題の一つとして、これの普及を推進してきたこともあり、腎臓の提供数において日本一の実績をあげてきましたが、ネットワークシステムの発足と同時に腎臓の配分のシステムが大きく変わるなどして、死体腎移植の数も減り今日に至っています。一方、血液透析については、愛知県はそのシステム化において、他県のモデル県となるほど日本をリードし続けてきました。このように、腎不全治療の社会的な整備が進み定着するとともに、財団の主な課題は慢性腎臓病(CKD)対策となり現在に至っています。
これまでの財団の歴史を思い出しながら記してきましたが、このような歴史を踏まえ、これから財団の進むべき道はどうあるべきかを改めて考えてみようと思っています。
私の主な問題意識は、第一に、超高齢社会が進み、医療に求められるものが大きく変わりつつあり、腎不全患者も圧倒的に高齢者が増え続けているような社会の変化のなかで、今までと同じことを続けていてよいかどうかということ。第二に、今後財団がどうあるべきかは私のような70歳を超える高齢者が中心となって考えることではないだろうということです。高齢者の経験や知恵には確かに捨てがたいものがあり、これを徹底的に利用する意味、価値は大きいと思いますが、若い人の柔軟な発想、そして、何よりも30年後、40年後の超々高齢社会の当事者であるという事実には及びません。
今後、財団がどうあるべきか、一度、根本から見直してゆく時期ではないかと思っています。口ばかりで行動が伴っていないというお叱りを受けることと覚悟して務めたいと思っています。皆様方のお力添えを願っています。よろしくお願い申し上げます。